洋画を配信サービスで探していて、原題と日本語タイトルがまったく違うことに気づいた人は多いはずです。原題はシンプルな単語ひとつなのに、日本語版になると長い副題がついていたり、まったく別の言葉に置き換わっていたり。あれは適当に付けられているわけではありません。決め方には理由があり、時代によって変わってきた歴史もあります。
洋画のタイトルはなぜ日本に来ると別物になるのか
結論から言うと、原題は英語圏の観客のために作られており、日本の観客に同じ意味で届くとは限らないからです。だから配給会社は、内容が伝わる言葉に置き換えます。
英語の原題には、主人公の名前だけ、地名だけ、一単語だけというものが少なくありません。英語圏の観客はそれだけで映画のジャンルや雰囲気を想像できます。しかし日本語話者にとっては、ただの固有名詞にしか見えないことがあります。ポスターを一目見ただけでホラーなのかアクションなのか分からないタイトルは、配給する側からすると機会損失です。そこで「〜の逆襲」「〜の脅威」のような、内容を予感させる言葉が足されます。
たとえば、主人公の名前だけが原題になっているアクション映画があったとします。日本公開の際には、その名前のあとに「反撃の狼煙」といった副題が加えられ、ポスターを見ただけでジャンルが伝わるようになる。これはよくあるパターンです。
ただし、この傾向は一律ではありません。近年は主演俳優が日本でもよく知られている場合や、原題自体がすでにSNSで話題になっている場合、あえて原題をカタカナ表記のまま使うことも増えています。無理に訳すより、話題性をそのまま生かした方が集客につながると判断されるからです。
邦題を決めているのは誰なのか
結論としては、監督や原作者ではなく、配給会社の宣伝・マーケティング部門が中心になって決めています。作品を作った側ではなく、日本で売る側の判断です。
興行成績は公開初週の動員数に大きく左右されます。だからこそ宣伝チームは早い段階からタイトル案を複数用意し、社内での検討や試写会でのアンケートを経て絞り込んでいきます。原題の直訳案、意訳案、まったく新しく作った案などが並び、ターゲット層の反応を見ながら最終的に一つに決まる、という流れです。
具体的には、公開の半年ほど前にタイトル候補が三つほど用意され、試写を見た観客に感想を聞き、その反応を踏まえて決定するという進め方がよく見られます。担当者の勘だけで決めているわけではなく、それなりに手順を踏んでいるわけです。
ここは迷うところですが、すべての作品がこうした丁寧な手順を踏んでいるわけではありません。単館系の小規模な作品や、公開規模が小さい作品では、予算の都合でそこまでのプロセスを組めず、原題をそのまま音訳しただけで公開されることもあります。
サブタイトルがやたら付くのはなぜか
原題がシンプルすぎる、あるいは抽象的すぎる場合、日本語版には説明的なサブタイトルが加えられます。これは内容を一目で伝えるための、いわば補足説明です。
ポスターや配信サービスのサムネイルは、一瞬で内容を判断してもらう必要があります。原題が一単語で、しかも比喩的な意味を持つ言葉だった場合、そのままでは何の映画か伝わりません。そこで「〜の秘密」「〜、最後の戦い」といった言葉を足して、ジャンルやストーリーの方向性を示すわけです。
ある作品では、原題がひとことの英単語だったにもかかわらず、日本公開時には二十文字近い副題が付いたことがありました。これがSNS上で話題になり、揶揄まじりに拡散される、というのはよくある光景です。
例外もあります。シリーズが続くうちに、そのサブタイトルの方が本編タイトルより有名になってしまうケースです。逆に、続編になったとたんサブタイトルが急に短くなり、シリーズとしての統一感がなくなることもあります。この辺りは配給会社の方針次第で、決まったルールがあるわけではありません。
シリーズなのに邦題がバラバラになるのはなぜか
結論としては、配給を担当する会社や公開時期が途中で変わるからです。同じシリーズでも、日本語タイトルの付け方の方針が引き継がれないことがあります。
1作目を配給した会社と、続編を配給する会社が異なる場合、タイトルの命名ルールが変わってしまうことがあります。版権や商標の関係で、以前使った日本語タイトルをそのまま使えないという事情も絡みます。結果として、同じ主人公が出ている話なのに、シリーズだと気づかれにくいタイトルになってしまうことがあるのです。
たとえば、1作目は原題をわかりやすく訳した邦題で公開されたのに、3作目になって急にシリーズ名そのものが変わり、配信サービスで検索しても同じシリーズだと分かりにくい、という状況が実際に起こります。
一方で、近年は世界同時公開を重視する配給方針が増え、シリーズ全体を通して原題のままカタカナ表記に統一する例も見られるようになりました。バラバラだった時代から、統一される方向に少しずつ変わってきています。
邦題という文化は消えていくのか
完全にはなくならないと思いますが、以前ほど大胆に意味を変える邦題は減っています。配信サービスの普及が、この変化を後押ししています。
世界中の観客が同じタイミングで同じ作品について話すようになった結果、SNS上では原題での検索や言及が主流になりました。ここで日本語版だけ大きく違うタイトルを付けてしまうと、話題が分断されてしまいます。配給会社もこの点を意識するようになり、原題をそのままカタカナにして公開する例が目立つようになりました。
数年前であれば大胆な意訳タイトルが付いていたであろう作品が、今はほぼ原題のまま公開される。この変化は、配信という視聴環境が定着したここ数年で特に強まっている印象があります。
ただし、子ども向け作品やファミリー向け映画では、今でも説明的な邦題がよく使われます。小さな子どもに内容を直感的に伝える必要があるためで、この分野に関しては昔ながらのやり方がまだ残っています。すべてのジャンルで同じ流れが進んでいるわけではない、というのが実情です。

